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大阪高等裁判所 昭和53年(う)365号 判決

被告人 木村明

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高階貞男作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、要するに、被告人の本件所為は、五十嵐文夫の被告人に対する不法な侵害を免れるため防衛行為として止むなくなした反撃行為であるのに弁護人の正当防衛の主張を排斥した原判決には、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つた違法があり破棄さるべきである、というのである。

所論にかんがみ、記録と当審における事実取調の結果に基づいて、次のとおり判断する。

先ず、被告人が五十嵐文夫に対し原判示の傷害を負わせるに至つた経緯ないし経過の概略は、次のとおりである。

被告人は、昭和五一年一月二日午後六時ころから妻が経営するバー「あきら」において客の応待などしていたが、午後一〇時二〇分ころ戸外にある同店横の通路の奥の共同便所トイレで用を足し再び店に戻ろうとしたところ、そのしばらく前まで同店で飲酒し相当酔つていたいちげんの客である五十嵐(当二九年)が飲食代を「つけ」にすることにすぐ応じなかつたことを根にもつてか同店前の通路上で理不尽にも正面から「この野郎」というなり、いきなり手を振り上げ殴りかかつてき、被告人は危うくそれを両手で受けとめ防いだが、同人が引き続き酔いにまかせ何か口走りながら被告人の身体に幾度もつかみかかつてくるので、止むなく同人と揉み合い、或は同人を押すなどしたこと、そのためその場に倒れた右五十嵐が、今度は腹ばいになる等して被告人の足にしつこくつかみかかつてきたので、被告人はその都度手を用い或はつかまれた足を振るなどして同人を振り離したが、なおも同人が店に戻ろうとすると被告人の足をつかんでくるので、これを制止し払いのけて同人から逃がれるため、一回靴ばきの右足を使つて蹴るようにして払つたところ、それが同人の顔面(右目尻下付近)に当り、同人に全治約一〇日間を要する右眼部挫傷を負わせたこと、これにより同人がひるんだすきに被告人は店内に逃げ帰つたことが認められる。原審証人五十嵐文夫の供述中右認定に反する部分は、原審及び当審における被告人並びに原審証人西野昭、同中岡菊重、同木村多美雄等の各供述に照らし措信しがたい。

しかして、右に認定した五十嵐文夫の行為は、被告人の身体に対する急迫不正の侵害であるというべきであり、この点は原判決も認めるところである。

ところで、刑法三六条一項にいう「已ムコトヲ得サルニ出テタル行為」とは、急迫不正の侵害に対する反撃行為が自己又は他人の権利を防衛する手段として必要最少限のものであること、すなわち反撃行為が侵害に対する防衛手段として相当性を有するものであることを意味するものと解すべきところ(最高裁判所昭和四四年一二月四日第一小法廷判決、刑集二三巻一二号一五七三頁参照)これを本件につきみるに、被告人が五十嵐文夫の侵害に対し自己の身体を防衛するためとつた行為は、同人が青年の若さと酔いにまかせていわれもなく被告人にいきなり殴りかかり、ついで執拗につかみかかり、幾度も制止し振り払うなどしても止めないためこれを制止し、その執拗な攻撃から免れ自己の身体を防衛する意思をもつて、これに立ち向い、揉み合い状態となつて押して同人を転倒させたが、転倒してもなお攻撃の手をゆるめない同人を振り払うため、一回靴ばきの足で蹴つたものであつて、ことさら靴をはいていたものでもなく、初対面の同人に別に宿恨があつたわけでもなく、また顔面を狙つて蹴つたものでもなく、運悪くそれが右眼下付近に当つたに過ぎず、傷害の結果が前記程度で後遺症もないところからみて、蹴る力もさほど強力といえないものであるから、自己防衛のための侵害排除行為として相当性を有する行為というべきである。

原判決は、靴ばきで足蹴りするまでもなく、争う時点で優位にあつた被告人は他の手段方法で現場から逃れることが可能であつたから、被告人の所為は相当性を欠くとして過剰防衛としているのであるが、前記の経緯に徴し首肯できない。本件のごとく酔客からいわれのない乱暴を受け、これを幾度も制止し振り払う等したに拘わらず、なおも攻撃を継続する者に対しては、これを制止し攻撃から免れるため、一回程度足蹴りなどして制圧力を加えるといつた類いの侵害排除の行為にでることは、事の行き掛りからみてもごく自然な対応措置と考えられ、また、自己の乱暴な所為が原因で相手方に著しい迷惑をかけた侵害者の方でも、反撃行為によりそれ相応の不利益を蒙むることがあつても、それを甘受すべき立場にあるとみるのが、健全な社会通念にも合致するものである。

右の次第であるから、被告人の本件所為は、正当防衛行為に当るものと解するのが相当である。しかるに、これと見解を異にし、弁護人の右主張を排斥した原判決には、事実を誤認し、ひいて法令の解釈適用を誤つた違法があるというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、昭和五一年一月二日午後一〇時二〇分ころ、北海道紋別郡上湧別町字中湧別中町通称湧楽小路「カフエーあきら」こと木村朋子方前路上において、同店の客五十嵐文夫(当二九才)からからまれたことに立腹し、やにわに同人の上半身を強く押してその場に転倒させ、さらに同人の顔面を靴ばきで足蹴りするなどの暴行を加え、よつて同人に全治約一〇日間を要する右眼部挫創の傷害を負わせたものである。」というにあるが、被告人の本件所為は、前記のとおり正当防衛行為に当り罪とならないから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 矢島好信 山本久巳 久米喜三郎)

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